松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

ウソをついてこっぴどく叱られた少年時代

 

悪気が無いとはいえ度が過ぎてたかも

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僕は、昔から嘘つきで周りの大人から「狼少年」扱いされていた・・・・事は、断じてないのですが僕も含めて子供の頃は、大なり小なりウソというものを経験するのではないでしょうか。僕もいままでウソのひとつやふたつくらいついた事はあります。

やりがちなウソ
  • 悪気の無いウソ
  • 善い事に繋がると思いつくウソ
  • 注目を集めたい為のウソ
  • 振りかかる火の粉を掃うためのウソ
  • 得をする為のウソ
  • 人を陥れるためのウソ

他にも様々な理由でウソに至るものはあるかと思います。今も大きな話題になっている学園問題も、恐らくウソという歯車がどこかにはまり込んで真ともな歯車と一緒に物事を動かしているんだと思います。ウソが全て悪い方向に行くのであれば勿論問題ですが、そうでもないケースもありウソの扱い方はとても難しい問題だと思います。

冗談のつもりで言った言葉がウソに変わって伝わった出来事

   f:id:rjmatsumura:20170324012945j:plain写真はイメージです。

 

小学生の頃友達を誘い近所の親戚の家でボーリングのテーブルゲームを皆と仲良く遊びました。これが後に大人たちの逆鱗に触れるとは夢にも思いませんでした。

僕んちは、どちらかというと少し貧乏だったせいか、物心がついたころから母は、僕が何か買ってと要求するたびに「家は火の車や!」が口癖でした。そんな貧乏な家の近所に親戚の家がありました。この親戚は、靴の工場を経営していて間違いなく僕んちよりお金持ちでした。なにせ父も母もこの親戚の所で働いていたからです。仲は、よかったのでよく遊びに行きました。それに僕と同い年の男子もいました。僕の持っていないオモチャを一杯持っていました。僕んちにはオモチャが殆どないので大抵はここのオモチャで遊んでいました。

そんな背景の中、ある時ボーリングに行こうか?と友達を誘いこの親戚の家に連れて行きました。すると友達のだれかが「ボーリング場じゃないの?」と言いました。そして僕は「ボーリングゲームやで、ここのゲーム普通のより大きくて面白いで・・・・。」見たいな事を言ったと思います。そしてその日は友達皆で楽しく遊び解散しました。

数名の保護者が僕んちに押し寄せてきた。

遂にその時が来ました。恐怖のXデーです。家の外に昨日一緒にボーリングゲームをした友達のお母さんが2~3人来ていたと思います。「あんたとこの息子さんがボーリングに連れて行ってくれるって言うから行かせたのにボーリングゲームてどんなしつけしてるの・・・・。」なんかこんな風なこと言ってたと思います。母はずっと謝っていました。きっと友達のお母さんが帰ったら僕は母にボコボコにされるんだろうなと恐怖に怯えていました。そして友達のお母さんがやっと帰り次は僕の番です。

母は、僕の前に来てあきれた様子で僕にその時の事情を聴いていました。その時母は、僕を叱りませんでしたが、母が凄く失望した様子だったのが子供心に叱られるよりこたえました。後になって友達に聞いたのですがボーリング場に連れて行ってくれると親に言ったら親はお出かけ用の服とお小遣いをくれたと言ってました。

要するに悪意は無いにしても誘うニュアンスがあたかもボーリング場に連れて行くかのように友達を誘った。すなわちウソをついたと言う事になったのです。大人だといちいち身内に報告しないけれど小学生だと全部が親に筒抜けになるのは当然です。

それ以来僕はウソをつくのはやめました・・・・。~な訳でもなくやっぱりケースバイケースでついているかも。そして何時しか記憶に残っているのは、この事だけになったのです。悪気はないにせよ母親を失望させた時のあの罪悪感は、小学生にはかなりこたえました。あの信用されな感は縁を切られた様な感じ?捨てられた感じ?で凄く辛かったのを今も覚えているのです。

教訓

ウソのリスクというのは大切にしている人に失望感を与えてしまう事です。信用されないというのは個人的にも社会生活においてもかなりリスクの高い事です。これから歳をドンドンとって行く中、普通でさえ友達が減って行くのにこんな事で貴重な友達を減らす訳には行きません。なのでウソをつく時はなるべくよく考えてつく様にしましょう。