松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

自身の物欲を改めて見直すタイミングとは

 

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今日で年内の営業は、終了しました。明日28日は、お店の大掃除と忘年会で終わりです。年々歳をとるスピードが、上がっていくような気がします。1年365日には、違いないのですが、日常の何かが自分の中で加速しているようでなりません。昨年暮れからブログを書き出したこともあり、睡眠時間が激減した分逆に起きている時間が増えたのでひとより少し多い目に時間を使っています。それなのに何故か、1年の過ぎるスピードが速いのは、何故でしょうか・・・?さて、今回は何かの記事で読んだ「アボリジニーのことわざ」に因んだ現代のライフワークについて考えてみました。

 

The more you know,the less you need.

これはaboriginal saying(アボリジニーのことわざ)で「知れば知るほど、必要なものは少なくなっていく。」とだいたいこんな感じで翻訳されています。それにしても深い・・・。このことわざを考えるに、人は物事の真実を知らないうちは多くのものを求めがちだが、その真実に近づくべく知見を深めれば深めるほど、実は必要なものが少ないことがわかってくるのではないでしょうか・・・。例えば食生活に置き換えると、今は飽食(ほうしょく)の時代とかなんとか言われ、巷(ちまた)には様々な食べ物が溢れ、栄養のある食べ物も多い。でもそれらが僕たちにどれだけ必要でしょうか、栄養学的にみれば基本の穀物、野菜、肉等が一日適量あればそれで十分で、生きるため、健康のためにはそれ以上の物はむしろ害になる可能性さえあるのです。

 

 

人生経験が要る物と要らない物の見分ける力を養う

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つまり、人の健康のために必要な物は何かを知れば知るほど、実は粗食(もちろんバランスの良い)が一番だとわかるのです。人にとっての幸せを考える時、僕たちは多くの「物」、そしてそれを手に入れるためのお金を多く持つことが幸せだと最初は思います。しかし、人生経験を積めば積む程、また、多くの体験を積めば積むほど、つまり、人生において賢くなればなるほど、そうではないことに気づくのです。幸せになるには、あるいは、幸せを感じるには多くの「物」は必要なく、必要なものは愛する人であったり友人であったり、あるいは、健康であったり身の回りのちょっとした自然であったりと、人の幸福には多くの物は必要がないことを人は体験的に学んでいく。The more you know, the less you need. は、まさに、このようなことを僕たちに教えてくれているものと思います。

 

 

お金がないと幸せになれないと思い込んでいる

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お金というのは、しょせん投影物に過ぎません。何の投影かというと、他人に与えた有用さ、作り出した快適さ、自分が発揮できるエネルギーの投影なのです。なので、お金持ちになる人は、自分自身を上手に使えたからお金が集まってきたのです。しかし、現代ではすぐに結果を求められ、人と競争をさせられて、優劣の烙印をすぐに押されるような環境にさらされています。ですから、目先の結果を求め、明日のお金を追いかけて、どんどん自分という資産を減りすらしているのです。そして、そんな立場に置かれているから、形のあるお金、財産を持っていないと不幸になると人は思い込んでしまうのでしょう。しかし、彼ら(アボリジニー)は、まったく異なる解釈をしていたと思います。

 

 

最大の財産は自分自身にあるのです

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豊かさの根源にある価値、それは人のエネルギーであり、英知であり、生きる力です。それを備えている人は、いっときの貧乏や困窮も乗り越えることができます。その根源を支えているのは、お金などではなくて、自分自身という資産なのです。物に頼る生活、外食に依存した健康、商品に左右される投資、外的環境に振り回されるビジネスといった悪循環から抜け出せた人は、きっと本当の自由を手に入れることができるのでしょう。ひとりひとりが、本当の価値を充実させれば、貯金が一円もなくても、冷蔵庫に何も入っていなくても、幸せになれるはずです。

 

 

最後に

確かに僕たちが、若かりし頃というか、子供の頃というか、思い起こすと今みたいな物を売るお店や、飲食店などは、全く違う型になっています。よろず屋さんが、コンビニに商店街がショッピングモールにそれにフードコートなんか昔は、デパートの屋上か、遊園地の食堂くらいしかなかった記憶があります。野菜なんかも八百屋で売られていた頃より圧倒的に種類が増えています。そう思えば僕たちの物欲が、麻痺するのも無理がないと思います・・・。