松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

自己啓発セミナーと瞬間的モチベーション

 

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僕が社会人デビューした時は、大きな組織では、無かったので社員教育の様なものは無く、ひたすら先輩から教えてもらうか見よう見まねで覚えるしかありませんでした。それでも前職より規模の大きな会社に入社した時は、社員教育の一環として自己啓発セミナーに結構行かされた事が思い出されます。自己啓発セミナーに出てるときは好奇心も追い風になりモチベーションも上がるけれど、翌朝にはすっかりトーンダウンし元通りになってしまいます。セミナーを受けているあの時あの瞬間の強い気持ちはいったいどこに消えてしまうのでしょうか・・・。そこで今回は、自己啓発セミナーについて考えてみる事にしました。

 

好きな映画や好みの本を見る様なもの

これはセミナーに限らず、自己啓発書を読んでいてもよく起こります。読んでいる間は「なるほど、そう言う事だったのか!」とハイテンションだったのに、仕事に戻ったら何事も無かったかのようなただルーチンワークをこなすだけの日々に戻ります。このような経験は、恐らく誰しもが少なからずとも経験してると思います。

 

 

SF映画の様にストーリただを楽しむだけ

この謎のモチベーション低下に対する僕たちの考え方としては二通り有ると思われます。一つは「自己啓発なんて胡散臭い」「内容としては面白いが現実とかけ離れすぎている」と考える場合。もう一つは「モチベーションが下がったのは自分が未熟だからだ」とか、「勉強が足りないからだ」と自信のなさに自分を奮い立たすべく何十万円もするようなセミナーに再び参加し続け、セミナーに依存し続ける人もいます。しかし、もはやそれは本来の自己啓発ではありません。そもそも自己啓発とは文字どおり、「自己を啓(ひら)く」ためにあります。それなのにセミナーで他人の成功例を聞かされて、「私もあの人みたいになりたい。ここにいればそうなれるんだ」と思い込まされるのは、自己啓発とは正反対のセミナーに対しての依存度の高いものになっています。しかも数十万円ものお金を出しているとなると「高い勉強代」では済まされません。そのお金でできるはずだった色々な機会をみすみす見逃しているのと同じことなのです。

 

 

結局は自分自身でしか見つけられない

モチベーションを上げたいのなら、その根拠は自分自身に求める努力が必要です。誰かに無理やり植え付けられても、心には根付きません。自分が覚醒するようなモチベーション源にはならないのです。だからこそ高いお金を出して何度も通うハメになるのです・・・。しかしこれまでの自分の過去を見つめ直し、これから目指す成功像を内面から作り上げれば、その自身は絶対に失われる事はありません。心無い自己啓発セミナーの主催者はいつも自分の話を通じて、相手の心に自信が芽生えるような仕掛けをちゃんと施しています。自己啓発を名乗りながら、相手を自分の言いなりにするテクニックに、決して踊らされない様なしっかりとした考え方を持つ訓練が必要なのです。

 

 

見えていないだけの自信を早く見つけ出す

例えば、自分にまったく自信が無い場合、こんな言葉が頭を過るでしょう「自分にはモチベーションになるような根拠なんてない・・・。」しかし、それは「ない」のでなく「見えない」だけなのです。僕たちは常日頃、それなりに心が折れる様な体験をたくさんしています。その中で「自分は大したことがない」とか、「何の取り柄もない」などと思い込んでいるのです。しかし、本当は大したことがあるかどうかなんて関係がなく、重要なのは自分が心から楽しめることを誰かに喜ばれる形でやっていれば、次第に人が集まり、それが生き甲斐やお金に変わるのです。今まで一度も楽しかったことも、得意だったことも、感謝されたこともないなんて人間なんて恐らくいないと思います。

 

 

最後に

誰かが勝手に作り出した才能などという物差しで自分を測り、寸法が合わないと途端に自分で自分を否定してしまうのです。自分の内にある長所を否定するのではなく、肯定することこそが本当の自己啓発だと思います。僕も人のことは言えませんが、結論として、自己啓発本をたくさん買ったり、セミナーに参加するのが自己啓発では無いと思います。もちろんなかには大変勉強になる内容もありますが、かと言って全員が同じ結果になる訳がありません。大学受験で同じ予備校に通ったり、同じ参考書を読んでも、同じ結果になるとは限らないのです。結局吸収できるかどうかはいつだって自分次第なのです。これからは心の中で「自分はどうだっただろう?」「自分ならどうするだろう?」という問いかけを常にしてみてはどうでしょう。