松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

逃れる事のできない人間関係とつき合い方

 

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それにしても寒い春の日が続きますね・・・。昨日の夜なんて帰り道の気温がなんとたったの2℃でした。お蔭で震えながらの岐路となりました。さて、そんな寒い春の空、様々な新しい環境で新たな人生をスタートさせた人もきっと大勢いることでしょう。新しい環境で順応するのに色々気苦労する事もあるかと思いますが、挫ける事無く頑張っていきましょう!

 

人間関係はとても繊細な作りになっている

約束の時間を守らないいつも少しだけ遅刻してくる人を見ると、なんとなくだらしなさを感じてしまいます。それに遅刻をすると「いつも間に合うように家を出ているのになぜか遅れてしまいます・・・。」そんな言い訳を聞くと、猛烈にイライラしてくるものです。「なんて自分に甘いヤツだ・・・。」と心象が悪くなり、そのうち距離を置くようになるのです。ここで考えたいのが必ず失敗をした人と失敗を見た人とでは、失敗に対する受け止め方に大きなへだたりがあるのです。それでは、この差はどこから生まれるのでしょうか・・・。両方とも経験のある僕としては、自身の胸に手を当てながら、考えてみたいと思います。

 

 

失敗をした人と見た人の感じ方の違い

失敗した人と失敗を見た人との失敗への解釈の違いは、ある行為を行った「行為者」とそれを見た「観察者」が、その行為の原因・結果の因果関係に違う解釈を行うというバイアス(先入観・偏見・偏り・傾向)を意味します。失敗した人(行為者)は、自分の失敗の原因を何かのせいやたまたまなどと説明するケースが多いと考えられます。つまり、状況や環境などの自分以外のものに原因があると解釈した訳です。一方で、その失敗を見た人(観察者)は、本人自身の内面に原因があると解釈するのです。このように、一般的に行為者は結果の原因を自分以外の「外的な要素」に求めやすいのに対し、それを見た観察者は行為者本人の「内的な要素」に原因を求めやすい傾向があるとされています。これを行為者・観察者バイアスというそうです。

 

 

失敗を見た人は反射的に不注意を責めないよう心掛ける

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行為者と観察者は、お互いの意見を主張しても、その主張が噛みあうことはまずありません。それは、どちらの側も真剣にそうだと思い込んでいるからなのです。したがって、失敗を見た人が「失敗したあなた自身が悪い」、失敗した人が「失敗は私個人のせいじゃない」と感じたとしても、その場を丸く治めるには、まずその思いをとっさに主張せず、少し冷静になる必要があるのです。まず、誰かの失敗を見た人は、「失敗した人の不注意のせい」「失敗した人の考えの甘さのせい」だと思ったとしても、その考えをすぐに口にせず、失敗した人の立場になって考えてみましょう。その人の立場に立ってみれば、この状況では失敗しても仕方がないなとか注意しても失敗してしまうこともあるという気持ちが理解できるかもしれません。意図せず失敗してしまった腹立たしさや、ばつの悪さも、理解することも同時に出来るかもしれません。

 

 

言い訳は極力しないよう心掛けましょう

失敗を起こした人は、失敗を見た人に注意されたとしても、言い訳のしすぎに注意します。そもそも失敗を見た観察者は、とっさに失敗の原因を失敗を起こした行為者に問題があると考えますから、失敗を起こした本人が状況のせいや環境のせいなどと他の要因にあることを説明しすぎると、原因を隠ぺいしようとしているように見え、印象が悪くなってしまうからなのです。まずは謝罪が必要であれば、素直に謝罪する方が、相手の印象はかなりよくなります。実際、その失敗によって、観察者を不愉快にさせたり困惑させたりしているのであれば、素直に謝罪の意を伝えた方が、感情的なトラブルも生じにくく、問題は小事で治まるでしょう。そして、言い訳というか釈明は、お互いの気持ちが充分落ち着いてから行った方がいいでしょう。

 

 

最後に

要するに大切なのは、人の失敗を指摘したり、必要以上に釈明にエネルギーを費やすことではなく、失敗を事実として受け止め、そこからどのように状況を回復させるのかが、信頼を勝ち取る近道だと思います。確かに一旦「嫌い」というレッテルを貼ってしまうとなかなか180度転換は難しいものです。そこまでねじれる前に素直な心で軌道修正を心掛けましょう。