松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

人は本の読み方ひとつでも色々な差が出る

 

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 最近は忙しくてガッツリ本を読む時間があまり作れず読書が些か疎遠になっています。それでも仕事をし始めた頃は、先輩達に進められるがまま、しぶしぶでも本を読みました。あと僕の場合、大いに役に立ったのが、ことわざ辞典です。今の人達が、ことわざを頻繁に使っているイメージは、あまりありませんが、僕達の頃はあちらこちらでことわざを発する人生の先輩方が、沢山存在していましたからね・・・。おかげで気が付けば、すっかりミイラ取りがミイラになってしまい今では、ついつい僕もことわざを発言しちゃってます・・・。それにしてもことわざは偉大です。未だに語り継がれることはざを先人達は、上手に物事を例えことわざにしたもんですね・・・。

話を戻しまして、僕がよく啓発関係の本なんかを読んでいて時に、自分と同じ主張や、自分がやっていることを肯定している記述があると安心感を覚えます。これは恐らく誰でも同じで、自分が肯定されるのはうれしいものだと思います。一方、自分の考えとは異なることを主張している本、あるいは自分がやっていることを否定している本だったら、どう感じるでしょうか・・・。

 

価値観の違いを認められない

たとえば心が貧しい人の場合、自分と価値観が同じ本を「良い本だ」と評価する一方で、価値観が異なる本を「良くない本」として切り捨てる傾向が強くあるようです。この「良い or 良くない」の極端な二つの異なった評価のために、思考の幅が広がらず、意思決定が進化せず、貧困な考えから抜け出せないと思われます・・・。自分の意見を強化することなく自分とは異なる意見に反発するだけなら、それは信念ではなくただの思い込みであり、単なるつまらない意地かもしれません。そういう人は、たいていの場合、誰かに反論されると、自分の主張を論理的に話すことができず、感情論に走ってしまうものなのです。人は感情が先行してしまうと、どうしても頭から反発するだけで、課題のメリットとデメリットを冷静に比較できなくなります。そして、最後にはデメリットを回避する方法を考えることすらできなくなってしまうのです。

 

どんな本でも論理的に読む力を養う

 仮に勝ち組にいる人は、自分と反対意見の本もまた「何それどういうこと?」と興味を持ちます。「何言ってんだコイツ」と感じた本にも手を伸ばします。そもそも、価値観は人によって違うものと多様性への理解力が高いのかもしれません・・・。誰かの本を自分の価値観だけで良い悪いなどといった評価はしないものなのです。そして相手の主義主張に対する評価基準は、すべて納得性が高いかどうかで判断し、更には、論理性や合理性の高さでも評価するのです。なので仮に、読んで感情的にムカついたとしても、異なる意見もいったん受け止めて考えるのです。

 

何事もよく理解した上で判断する

 たとえば、この著者は、どういう論理でこのやたらムカつく考えを主張するのだろう・・・。どこが自分の論理と異なっていて、こういうムカつく結論に至ったのだろう・・・。などと分析してみましょう。そして最後にその著者の主張の根拠が乏しければ、これは著者の単なる思い込みだな・・・。と評価をすればいいだけの事なのです。それでも逆に客観的で説得力があれば、それはそれで素直になるほど、そういう考え方もあるかも・・・。とか、もしくはそれはそれで一理あるな・・・。と受け入れ、そのうえで自分の意見に軌道修正を加えるのです。

 

最後に

 自分の考えとは異なることを主張している本に対して理解しようとする努力は、相手の主張に同意するということを意味するわけではありません。相手の説得力ある主張をさらに跳ね返す論理を構築し、自分の主義主張をより強化にしていくという事に繋げる為のものだからです。そうすると必然的に自信を持って主張できたり、周囲の影響からブレることもなくなります。更には、批判や炎上も恐れる必要もなくなります。そしてこれからの人生も、自分の考えに自信が持てれば、あとは放っておいても自分らしく伸び伸びと生きていることを実感できると僕は思います。