松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

自分は時間を正しく使っているか

 

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 昨年は、本当に激動の一年でした。だからといって今年はそうでないと油断する訳にはいきません。もしかすると昨年以上に激動の一年になるかもしれませんからね…。COVID-19も一向に収まる気配がなく、医療崩壊も秒読み段階のようにも見えます。景気についても日本はもとより世界中で経済に大きな影を落としているようです。そんな中今回は、お金同様にとても大切な「時間」をテーマにしたいと思います。昔から『時は金なり』ということわざがあります。 そもそも時間はお金と同じように非常に貴重なものです。なのでそんな貴重な時間を無駄に浪費してしまうことなく、できる限り有意義に使えれば良いなと考えます。そこで、自分自身が如何に正しく時間を使いこなせているかについて考えてみることにしました。

 

貴重な時間を無駄遣いしていないか?

 人間は太古の昔から第二次世界大戦の終結くらいまで、庶民のほとんどは恐らく生きることだけが目的だったように思います…。たとえば、狩猟や農耕などに時間を使っていたのも生き延びるための手段なのです。戦火の中、防空壕を掘ったり疎開するのもすべて生き延びるためなのです。しかしながら、気が付けば食糧はいつでも気軽に手に入るようになりました。なんなら捨てるほど食べるものが有り余っている始末です。因みに消費者庁のHPをのぞいてみると、日本では、年間2,550万トンの食品廃棄物等が出されています。このうち、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は612万トン。 これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食糧援助量(平成30年で年間約390万トン)の1.6倍に相当するとのことです。 また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶腕約1杯分(約132g)の食べもの"が毎日捨てられていることになります。そして命を脅かす戦争も、今の日本ではほぼ皆無に等しいといえるでしょう。

 

暇な時間を持て余すとは

 そうなると、ただ日々の生活に流されるだけでも人は生きようと思えば、生きていくことができるということになります。さらに言えば、「生き延びる」という目標を失った人間は、膨大な暇な時間ができたと考えることもできます。そこでこの「暇な時間をどう使うか?」となります。だからこそ、生きること以外に何か目的、目標、価値を置かなければならないのです。そうしないと恐らく僕たち人間は夢も希望もないとてもつまらない一生になってしまうかもしれないからです。

一般的に僕たちの多くは小・中・高で12年間、人によっては大学に行き合計16年間の学校生活を過ごします。社会に出て働き、1日の仕事を終えたら今度はプライベートな時間を過ごします。ただただテレビを見ながら食事をして寝るという日々の人もいるでしょう。週末はショッピングに行き、長期の休みは旅行に行くなど…。そして更に将来をイメージすると結婚・出産を経て子育てをし、子どもがまた社会に出たころ、定年退職で引退…。老後は孫の世話をしたり仲間とお茶したり、のんびりと過ごすので。そう考えると、仮に80年の人生(僕の場合は100歳まで生きるつもりです。)は壮大な暇つぶしとも言えるでしょう。

 

時間こそがすべての人にあた得られた平等なチャンス

 人は何かを成しても成さなくても、時間は平等に与えられそして過ぎていきます。映画や旅行も暇つぶしですし、テレビや読書も暇つぶしです。仕事は生活の糧を得るという目的はあるものの、それで1日の大半が過ぎますから、やはり暇つぶしのひとつと考えられます。そしてその暇つぶしを、自分や社会にとって価値のあることにして過ごすのか、価値のないことにして過ごすのか、大きく二つにと分けられます。たとえば、通勤や通学の時電車内などでスマートフォンに触れている人の画面を覗いてみると、たいていの場合ゲームかSNSなどをしています。それらは、基本的にやってもやらなくても、誰も文句を言わないし、誰も困らないでしょう。でも仮に自分の仕事がプライベートでも役に立つとしたらどうでしょう?たとえば、自分はシステムエンジニアという場合、その知識を活かしてプライベートな時間に地元の子どもたちなんかに簡単なゲームの作り方など、チョッとしたプログラミングを教えてみるということができます。これも勿論、やらなかったとしても誰も文句を言わないし、誰も困りません。しかし、やれば子どもたちに価値を提供し、喜ばれることになります。そしてさらに言えば、自分の名前や、していることが地域に知れ渡り、コミュニティができるかもしれないし、地元の学校からも出張授業の依頼があるかもしれません。これを有料でやれば副収入にもなるでしょう。

 

最後に

 いずれにせよ何で暇つぶしするかは個人の自由です。そして、何かを成しても成さなくても、僕たちには同じ時間が与えられ同じように時間が過ぎていきます。そして大部分の人たちが100歳を迎える前にこの世を去り、自分の孫が寿命を迎えるころには、自分を直接知っている人間はこの地上からいなくなるのです。そう考えたとき、どうせ一度の人生です。自分が自分であるために、自分が生きた証しを後世に残すために、せっかくなので価値ある時間を使う努力をしてみてはどうでしょうか…。