松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

怒れるお年寄りを理解する

 

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 最近なぜか次のような老人の話題をよく見聞きします。敷地内にゴミを溜めて暮らす老人や、保育園の子どもの声に苦情を訴える老人など、このところ、老人が引き起こすさまざまな問題がテレビなどを通じ世間を騒がせているようです。とにかく人々が眉をひそめるような極端な行動に走ってしまうお年寄りを、世間が急に注目し始めたのはなぜでしょうか・・・?

 

どんどん増え続ける高齢者が原因

 考えられるいくつかの理由のひとつに、やはり長寿大国であることが挙げられます。今日の日本を考えると当然といえば当然でしょう。そのような訳で近年老人の人口が急増しているわけなのです・・・。そして厄介な事に今まで余り目立たなかった暴走する老人が、ここにきて分母が増えることにより、いっきに目立ちだしたのです。なので必然的に暴走する高齢者を目にする機会が増えている現状にも納得せざるを得ないでしょう。

 

捨て身の高齢犯罪が怖い

 それに根拠のひとつとして総務省の統計に、平成25年の65歳以上の人口は3186万人であり、実に日本人の4人に1人が老人という割合の結果が出てるようなのです。また、近年では高齢犯罪者も増加しているようで、警察庁の統計によると、60歳以上の検挙人数は平成25年までの20年間で約4倍の増加したそうです。高齢者だけに捨て身感が半端じゃないでしょうしね・・・。とにかく老人が増えれば、それだけ老人の問題も増加します。超高齢化が加速する現代では、老人の暴走ぶりを目にする機会は、今後さらに増えていくものと考えるべきでしょう。

 

偏見こそが暴走老人を問題化する

 もうひとつの理由としては、昔から思われているであろう理想的老人像にあるのではないでしょうか・・・?そもそも老人は物分かりがよく、つつましく生きるもの・・・。というとらわれ 方が関係しているのかもしれません。老いては子に従い、出すぎず騒がず、心安らかに過ごすような老人のイメージ像は、もはや、日本昔ばなしの世界だけかもしれませんね・・・。なので勝手に実態とイメージを一緒にする世間の方が、間違っている様な気がします。

 

老人も怒るし拗ねもする

 高齢者を見方のひとつとして、分別のない私欲に満ちた老人の行動を目にすると、これみよがしに声高に批判したくなる人達も存在します。しかし、老人も生身の人間です。苛立ちをぶちまけたくなることもあるでしょうし、人から距離を置かれれば意固地にもなるはずです。世間の側がかってに思い込みにとらわれたままで、人が抱える個別の感情や思考に関心を向けないことが、老人の行動をより過剰に問題化しているかもしれません・・・。

 

老人が強いストレスを感じるとき

 あと考えられるのは、老人にとって今の社会は、とても生きにくい社会なのかもしれません。そもそも、老いるということは、ストレスとの闘いではないでしょうか・・・。職業人や親としての役割を卒業し、対人関係や健康、若さが日々失われていくという、さまざまな喪失感を日々実感しているのです。まさに老人の実になって考えてみれば、とても残酷な話です。それを百も承知で日常を送らなければいけないのです。

 

世の中のスピードに追いつけない

 更に、生活をとりまくすべての技術がめまぐるしく更新される現代では、それまでなじんでいた高齢者達のライフスキルがまったく通用しなくなることにより、老人は生活上のさまざまな不便と不安そして危機感を感じだします。そうしたなか、小さなストレスや焦燥感は若者と同じように日々蓄積されていき、身近なデイサービスなどのソーシャルサポートが脆弱化するなかで、やりにくさや孤立感を感じる人も増えていくでしょう。その結果、今回のテーマでもある怒れるお年寄の暴走と揶揄される行動が増えてしまうのも、無理はないかもしれません。

 

最後に

 以上のように近年の怒れるお年寄り問題には、複数の要因が複雑に絡み合っていることが多少理解できたと思います。ここで大切なのは、個人の性格などの個人内要因だけの問題と決めつけず、人口構成や社会の変化などの個人外要因との関係を考慮しながら、老人をとりまく問題を総合的に考えていくことが必要だと思います。だって何かで死なない限り自分も絶対老人になります。なので自分の番になって揶揄されるのは、僕はご免です・・・。