松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

老害といわれる人は若作りが出来ない

 

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 実は、 3日ほど前から娘が38度ほど熱を出し学校を休んでいます。咳などなかったので恐らく風邪だと思うのですが、念の為インフルエンザを疑い学校を休ませました。幸いなんとか熱も下がり、体調も回復したようなので取り合えず親としては、ホッとしています。これからますます電車やバスで通勤・通学をされる人は気を付けないといけないですよね。とにかく空気の乾燥が、一気にウイルスを飛散させ被害が拡散しますからね。なので公共の交通機関で移動される人は、充分に注意しましょう。さて、今回は心身ともにどうすればいつまでも若くいられるのかについて考えて見たいと思います。

 

自然な若さを保つ良い手を考える

 誰もが心の内に「できることなら、いつまでも若くありたい」と考えるものだと思います。では、その若さの定義とは一体何でしょうか。確かに見た目や体力、運動能力などはそのままでわかり易いですが、人間も生物である以上、老いからは逃げることはできません。しかし考え方によっては、年齢とは関係なく若さを保つ方法があると考えます。それは若さを構成するもうひとつの要素として、ふたつあります。ひとつは、好奇心を失わないで勉強を続ける事。そしてもうひとつは、ものの見方や考え方が柔軟である事です。つまりは、若さとは実年齢というよりも脳年齢であると考えられるのです。

 

好奇心と柔軟な頭を作る

 まず、ここでいう好奇心と思考の柔軟さは、必ずセットである事を意味します。好奇心があれば、新しいことに興味を持ち、挑戦できます。柔軟さがあれば、物事の別の側面が見えて気付く事が出来ます。すると、自然に学ぶことの楽しさを実感し、また新しいことを試そうと好奇心が保たれるのです。それがたとえば読書であっても、同じです。「なるほど、そういう考え方もあるのか」と感じ受けとめれば、それが新たな発見となり、そして本を読むのが楽しくなり、更には読書を継続できるということに繋がるのです。つまり好奇心は柔軟な思考を持つことによって満たされ、柔軟な思考ができれば好奇心も保たれます。それは要するに、ものの見方や、捉え方を、より自由に、多面的にしていくことだと思います。その為には、自分の価値観や常識だけで物事を決めつけるのではなく、たとえ自分にとって面白くない話でも受け入れる器を持つ必要があると思います。

 

妥協と柔軟は別物である事を自覚する

 ただし、勘違いしてはいけないのが柔軟さとは、自分の考えをコロコロ変えるとか、何でもかんでも「じゃ~それで」「別にいいと思う」などと自分の考えを曲げてまで、する事ではありません。軸となる考え方があり、そこに様々な考え方を取り入れ軌道修正したりして、より自分の思考を錬磨し、進化させる事なのです。僕も今まで多種多様な啓発関係の本や、セミナー等にも足を運び個性的な経営者の話を見聞きしてきましたが、優れた経営者は殆どがこの考え方をされていた様な気がします。年齢を重ねて知識や経験が増えていった時、さらに学習効率を上げて稼ぎ繋げられるのはこういう人であり、脳年齢も若いといえるのではないでしょうか・・・。いつまでも好奇心を持ち続け尚且つ柔軟である事が、重要なファクターとなるのです。

 

他人を批判し否定する人間にはならない

 世の中には、老害という言葉があります。その言葉意味は恐らく、古い自分の考え方にしがみつき、常識や価値観を新陳代謝できない人でもあり、加齢とともに脳も老いることに気付かない人達だと思います。そんな老害認定されているような人は、自分の考えに凝り固まって、そこから出てこないのです。恐らく自分の頭の中で、同じ考えが何十年もぐるぐると回っているのでしょう。だから自分とは違う考え、違う価値観、違う生き方を認めることがなかなかできないのです。そして問題が起きるとついつい反発したり、頭から否定したりするのでしょう。

 

自分の価値観が絶対に正しいと思わない

 昔から、今どきの若者は・・・。という、年配者の口からよく聞く言葉がありますが、そんな年配者は自分の時代の自分の価値観が絶対正しく、そうでないものは間違っているという発想があるからではないでしょうか。また、何十年も前の価値観のまま止まっており、今の時代の若者の心理や行動を理解するのを拒否していると考えられます・・・。そもそも何故そうなるかというと、ひとつは思考が停止しているからと考えられます。自分とは違う考え方や他人の常識を理解するには、根底にある価値観や、それを形成するに至った時代背景などの変化に思いを募らせる必要があります。しかし年配者は、そういう行為が恐らく面倒なのです。自分は正しく、それ以外は間違っていると判断すれば何も考えなくて済むからだと思います。確かにこれはラクですよね・・・。

 

頑固とプライドは老人のマストアイティム

 もうひとつは、プライドが高すぎるという問題です。想像するに、自分とは違う考えを受け入れるのは、何か自分が負けたような、くやしい感情が芽生えるからだと考えられます。たとえば、通勤電車の中、立って移動中に混んできてもガンとして動こうとしない人や、車での移動中も車間を詰めて、是が非でも割り込ませないドライバーのようなものかもしれません・・・。基本的に自分は正しいはずなのに自分は間違っているとか、自分とは違うものが認められるというのは、自分が持っているものの価値が低いように感じてしまうのかもしれません・・・。そして、そんな自分が小者扱いされるような感情に我慢ができず、自分の立ち位置を絶対的に高く置いておきたい。それには、相手を否定するのが最も簡単な方法と考えているのです。そのくせ、逆に自分が否定されたらキレやすいという性格を持っているなど本当に厄介なのです・・・。まさにプライドの高さから来る副作用なのです。いずれにせよ、よく他人を批判・否定する人は新しいものを受け入れることができず、おのずと好奇心を失っていきます。そして自分とは違うものを受け入れられないということは、当然ながら勉強しても身に着くはずもなく、思考が新陳代謝したり進化したりすることもないということになるのです。

 

最後に

 そう考えると、20代ですでに老いている人もいれば、高齢になっても若々しい人がいるのは明白です。そして皮肉なことに、体感としても、それは見た目や運動能力に比例している印象があります。芸能分野に限らず、政治・経済などでも活躍している人は、70歳になっても80歳を超えても若々しく感じる人は沢山います。そうした人は、恐らく好奇心を失わず、常に新しい情報や価値観を新陳代謝して、付加価値をつけた情報を発信しているのでしょう。「勉強とは最高のアンチエイジング」なんて文字を見たことがあります。好奇心を持って学ぶことは、若さを保つ秘訣であると同時に、お金を稼ぐことにつながるとも言えるでしょう。したがって、いつまでも若くいられるには、心身ともに軟らかくですね・・・。