松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

京都十六社巡り完結編

 

 今日の京都は、雲ひとつふたつある晴天に恵まれています。おまけに風も無くバイクを走らすのにはもってこいの日和です。さて今回は、前回行きそびれた十六社巡りの残り七社を巡りました。天気は雨こそ降りませんでしたが、スカッとしない空模様の中、京都の南エリアより攻めはじめました・・・。

 

十六社巡りの達成を目指して・・・

 前回からの続きである十六社巡りですが、まずは前回九社目に終った京都市南区の神社である六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)にまで立ち戻り、改めて続きをスタートする事にしました・・・。それにしても寒いはずの冬が、どうしたのかそれ程寒くないのです。もちろん防寒はバッチリしているのですが、今年は明らかに京都独特の陰険寒さを感じられません。おかげさまで今回こうして1月の超寒い時期にこうして十六社巡りを出来るのですから・・・。普通ならこんな時期に僕は誰に何と言われても絶対走らないですからね。それにしても暖かい1月です。

 

吉祥院天満宮

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この日最初に目指したのが吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)です。ここは、菅原道真公が亡くなり31年目に当たる承平四年(934)に菅原家ゆかりの道真公御誕生の地に朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮だそうです。また、境内には道真公のへその緒を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)塚」がありました。

 

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移動手段は、おなじみのカブ1号2号です。因みに今は7号まで可動可能です。

 

 

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 これは吉祥天女社です。延喜二十三年(八〇四)菅原道真公の祖父が遣唐使として唐へ向かう途中、海上にわかに暴風起り船が転覆しかけた時、同船していた僧最澄と共に吉祥天女に平安を祈ったところ、天女たちまち空中に現われ風雨静まって無事使節の任を果たしたそうです。 その感激と喜びを胸に帰朝後吉祥天女の尊像を自ら刻み、大同三年(八〇八)庭上に一堂を建立して安置し、伝教大師にはかって開眼供養が行なわれたとか・・・。 そしてここを吉祥院と号して国家鎮護の祈願所・菅家守護の本尊とされたそうです。

 

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ここが拝殿になります。

 

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 大きな今年の干支であるネズミが、意図はよくわかりませんが、とりあえず葉牡丹の真ん中に鎮座してました。

 

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ここに道真公のへその緒がどうやら埋まっているようです・・・。

 

長岡天満宮

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 長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)はその昔、桓武天皇が平城京より平安京に御遷都になるまでの皇都長岡京の跡であり、長岡天満宮の御祭神菅原道真公が在原業平と共に、ちょくちょく遊んで詩歌管絃(しいかかんげん)を楽しまれたところだそうです。また、道真公が太宰府に左遷せれた時、この地に立ち寄り「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しまれた縁故によって公御自作の木像を祀ったのが、長岡天満宮の創立だそうです。

因みにここは昔から個人的によく周りをうろうろしてました。近所ではないのですが、何となく縁があるんですよね・・・。昔この近所の居酒屋でたまたま隣り合わせたお客さんに「ここは、夜中に上まで上がると首の無い落ち武者が、刀を振り回して降りてくるから夜に上らん方がええで・・・。」というのを聞かされてから未だにチョッと怖いです。

 

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 拝殿横にある梅の木にさすがに暖かいと見えて梅が咲いていました。おまけに嘘のようですが、鶯が止まっていたのです。まるっぽ花札の風景そのままです。本当に鶯は梅にとまるんですね。感動しました。ピンクの丸の中に鶯がいます。その2時の方向にももう一匹います。大急ぎで撮影したのでクオリティーが最悪で悔しいです。

 

御香宮

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 御香宮(ごこうのみや)は貞観四年(863)九月九日、境内に大変香の好い水が湧き出て、この水を飲むと病がたちまち癒ったという奇瑞から清和天皇より「御香宮」の名を賜ったそうです。天正十八年(1590)天下統一した豊臣秀吉はこの御香宮に願文と太刀を奉納、伏見築城に際し、鬼門除けの神として城内に勧請したとされ、そののち慶長十年(1605)徳川家康は御香宮を元の地に戻し本殿を造営したとのことです。

 

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 これは木製樽の防火用水です。雨水を利用して貯めているようですね・・・。それにしてもデカイ!因みに高さが2m近くあるので水をくみ出す時は大変だと思います。

 

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 じゃ~ん!さすがお膝元に月桂冠があるだけあって提供してもらったんでしょう。それなら酒樽風の防火用水も頷けます・・・。

 

藤森神社

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 藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、今から約1800年前に神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社だそうです。また本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったもののようです。特に藤森神社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主、騎手等)又、競馬ファンの参拝者でにぎわっているみたいですね・・・。

 

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こちらが拝殿です。

 

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 ここ藤森神社は、菖蒲の節句発祥の神社としても有名です。5月5日(祝・日)には早朝の神幸祭の後、神輿•武者行列(鼓笛隊)が氏子地域を巡行し境内では勇壮な「駈馬(かけうま)神事」が奉納されています。

 

新熊野神社

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 新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、京都市東山区今熊野椥ノ森町にある神社です。熊野神社・熊野若王子神社を併せて「京都三熊野」と呼ばれています。

 

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「しんくまの」と書いて「いまくまの」と読むそうです。

 

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 ここには凄い迫力でそびえ立つ樟(くすのき)の御神木が、祀られてあります。この樟は神社創建の際、紀州熊野より運ばれ後白河法皇(ごしらかわてんのう)手植えと伝えられているそうです。影向(ようごう)の大樟とも呼ばれるこの木は樹齢約900年ともいわれています。因みに影向というのは神仏が仮の姿となってこの世に現れるという意味で、力強く空に伸びた大木の姿はまさに神々しいですね。なのでこれだけはスクエアサイズではなくフルサイズで撮影しました。かっこよく撮れたのでスマートフォンの待ち受けにしてみてください。ひょっとしたらご利益があるかもしれませんよ・・・。

 

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これが、拝殿です。

 

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 そしてここがミニ熊野古道入り口です。本来は紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る大変な所ですが、そこへわざわざ行かずともここで行った事になる大変お手軽ポイントなのです。

 

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・・・で、ここが終点の降り口です。道中は、実際現地に足を運んでみてみましょう!色んな意味で考えさせられます・・・。

 

豊国神社

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 豊国神社(とよくにじんじゃ)です。慶長3(1598)年8月18日、天下統一を果たした彼の有名な豊臣秀吉公は伏見城においてその波乱に満ちた生涯を終えました。そして御遺骸(おんなきがら)は遺命により東山阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、翌慶長4年、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建されたとのことです。

 

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 ここが拝殿です。とても立派ですね。この右奥に宝仏殿があり、後学のために拝観してきました。こじんまりしてましたが、とてもノスタルジックな気分になりました。確か大人300円で拝観できたと思います。ただ、入場券売り場と宝仏殿入り口が、少し離れているため入場料を納めず入りそうになります。僕達はちゃんと入場料を納めて入りましたが、そうでないであろう人たちとこの日すれ違ったのも事実でした・・・。

 

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 本殿横に鎮座する太閤秀吉像です。

  

市比賣神社

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  ここが今回最終ポイントになる市比賣神社(いちひめじんじゃ)です。女性に人気の神社とあってこの日もひっきりなしに女性の方が参拝にこられてました。因みに男性陣は、我々男子の二人と神主さんだけでした・・・。なので、なにも悪い事をしていないのになんとなく肩身の狭い思いをしていました。さて、ここ十六社巡りの最終地点に選んだ市比賣神社は前述したように御祭神が、全て女神様をお祀りしているところから女性の守り神とされ、全ての女性のお願い事にご利益があるとされているのです。特に時の皇后陛下がお受けになられた「女人厄除け祈祷」は有名だそうで、全国から女性の参拝者がひっきりなしに絶えないとか・・・。恐るべしご利益パワーですね。

 

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 ここが通りから見た神門です。この写真では絶対わからないと思いますが実はこの神社の上はなんと、マンションになっているのです。写真右横に住人用の駐輪場があり、京都では珍しいアバンギャルドな創りに驚かされます。ほら、ここにも女子が写ってますね・・・。この奥本殿にもいっぱいいるんですよ・・・。

 

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じゃ~ん!十六社巡りコンプリートいたしやした!!やったぜ。

 

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 これが今年の干支であるねずみの置物です。大きさは、拳(こぶし)一個分くらいです。

 

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 ~な訳でイノシシからネズミへと干支のバトンタッチは終了となりました。疲れたけど楽しかった~!来年のウシ年もガッツがあれば、十六社巡りチャレンジしたいと思います。あくまでもガッツがあればですよ・・・。今年は五社巡りをはじめ色んな京都をカブでガイドする予定です。京都をカブで一緒に走りたい人があれば、ぜひ一緒に行きましょう!と、いうわけで現在みんなと行ける企画をコツコツ制作しているのでもう少しお待ち下さい・・・。