松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

人混みを避けた京都探訪

 

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 日に日に深刻化を増すコロナウイルスですが、ホント大変なことになってきました。周りでも在宅勤務や海外からの撤収などワイドショーだけの話で収まらなくなってきました。そんな中、クラスター感染を回避しながら春の京都を楽しめないものかと人が、それほど集まりそうもないところを満喫してきました。さて、結構日となったのは先日の3月25日水曜日です。そして問題の移動手段は定番のHONDAカブです。というわけでいつもの友人と快晴の京都をコロナウイルスに警戒しながら探訪に出動しました。

今回は、約3時間ほどで廻れる「チョッとだけマニアック編」です。いつもの通り山科の友人宅を午前9時に出発です。まず最初に訪れたのが、出発地点よりさほど遠くない「大石神社」です。ここ大石神社は昭和10年に赤穂浪士大石内蔵助良雄公の義挙を顕彰するために、大石内蔵助良雄公をご祭神として創建された神社だそうです。
忠臣蔵にて主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因み、「大願成就」の神徳で信仰を集めてもいるようですよ…。ところで「大石 内蔵助:おおい しくらのすけ」の内蔵助は通称で本当は「大石良雄:よしお/よしたか」だそうです。なんか親近感がわきますね…。

 

 

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 毎度のことながら、僕の写真のセンスは最悪です。なのでぜひ現地に行って見てほしいところです。因みに今は桜が満開です!

 

 

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 きれいでしょ!

 

 

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 そうそうここにはなぜかポニーがいます。名前は「花子ちゃん!」です。平成11年4月30日が誕生日で来月で21歳になります。因みに馬の仲間でもあるポニーは年齢を4倍することで人間の年齢になるそうです。なので花子ちゃんは84歳です。それにしてはかなり若く見えますよね~…。また驚くことに馬は、20歳(80歳)になってもお産ができるようです。それに35歳(140歳)くらいまで人生というか馬生を全うするらしいですよ。すばらしい!そういえば花子ちゃんは、生まれた時からここにいるのではなく平成19年にここ大石神社に来たそうです。

 

 

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 ここは豊臣秀吉の 墓所がある「豊国廟:ほうこくびょう」です。東山区は阿弥陀ヶ峰の山頂、ふもとから563段の石段を登ったところにあるのです。

 

 

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  ふもとの京都女子大学あたりからてくてくと歩き数段の階段を上りおそらくここから489段の階段を登りきるのです。去年の夏に一度廟所まで登りましたが、下りは太ももがプルプルして僕的には結構ヤバかったです。しかし、この時若者数名がトレーニングウェア姿でウォーミングアップしていたのです。まさかと思いその若者に思わず声を掛けました。

僕:「ひょっとしてコレ上るの?」

若者:「エッ、は~上ります。」

僕:「ひょっとして軽く駆け足とかで?」

若者:「ま~、そうっス。」

僕:「まさか何往復とかしたりして…?」

若者:「ハイ、たぶん…。」

僕:「因みに何往復するの?」

若者:「まだトレーニングのコーディネーターが来ていないので分りません。」

僕:「へ~。因みに最高どれくらい往復したことあるの?」

若者:「僕は、6往復ですね。因みにほかのメンバーは10往復してますよ。」

僕:「・・・・汗。なんのスポーツしてるの?」

若者:「僕達は、アストリーとではないのでスポーツはしていません。」

僕:「エッ?じゃ~何で…」

若者:「実は僕達消防隊員なんです。なので訓練としてこの豊国廟を使っています。」

僕:「お仕事ご苦労様です。頑張ってください。」とこんなやり取りがありました。そりゃ~確かに火事の時消防士が、エレベーターを使って消火しに行くなんてどう考えてもおかしいですからね…。

 

 

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 どうですか?コレ。手すりも何もなく微妙に狭く休めるところは一切ありません。もちろん階段は、見えてる部分だけではないので安心してください。なんせ489段ですからね…。

 

 

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 これは豊国廟の入り口から市内を写したものです。左側に京都タワーが映っています。手前の建物が京都女子大学です。

 

 

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 京都の定番スポットで有名な祇園白川 元吉町エリアです。

 

 

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 どうですこのガラガラ感!長いこと京都にいてますが、これほど閑散とした街並みは久しく見たことがありません。因みにここに到着したのはお昼前ですよ!

 

 

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 何かの雑誌なのか撮影隊しか見当たりませんでした…。

 

 

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 閑散とはまさにこのことですね…。

 

 

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 同じ衣装を着たモデルさんが等間隔で撮影していたのが印象的です。

 

 

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 む~ん。寂しいまるで人のいない映画のセットみたい。

 

 

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 撮影の小道具が「辰巳大明神」と書かれた石標の側に無造作に置かれている。それにしても、もう少し考えて置いてほしいものですよね…。

 

 

 

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 ここは僕も始めてきましたが、明智光秀公の首塚です。今は大河ドラマ「麒麟がくる」で脚光を浴びているあの明智光秀の首塚です。自刃(じじん)した光秀を、家臣の溝尾茂朝が介錯したところまでは諸説一致しますが、その後の首級(しゅきゅう)の顛末はまちまちになっています。茂朝が居城の坂本へ持ち帰ったとか、難を逃れるために一時土の中に埋められたとか、さらには秀吉方の手に落ちて刑場などに晒されたなんて話もあります。その中のひとつがここ、明智光秀の首塚とされています。

「京都坊目誌」なるものによると、隠されていた首級は発見された後に胴体と繋ぎ合わせて、粟田口刑場に晒されたとされています。そして現在の蹴上辺り(西小物座町)に、他の将兵の首と共に埋められたとされています。それから時を経て、明和8年(1771年)になって、光秀の子孫と称する、能楽の笛の演者をしていた明田利右衛門という人物が、その場所にあった石塔をもらい受けて自宅近くに祀ったそうです。そして明治維新後に現在地に移したといいます。因みに現在の首塚には、弘化2年(1845年)に造られた五重石塔、明治36年(1903年)に歌舞伎役者の市川団蔵が寄贈した墓のようで、小祠(しょうし)も建っています。祠(ほこら)の中には光秀の木像と位牌が納められており、かつては衣服の切れ端や遺骨などもあったそうですよ…。そしてこれらを管理しているのは、首塚に入る路地の角にある「餅寅」という和菓子屋さんだそうです。このお店では、桔梗(ききょう)の紋が入った「光秀饅頭」なるお饅頭が売られているとか…。というわけで現在では五重石塔が明智光秀首塚として知られているそうです。因みに写真左下に少し写っている石標は当時五輪塔のかたわらに建てられ明智光秀首塚の所在を示すものだったそうです。

 

 

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 首塚の横にある真新しい御触書です。

 

 

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 スケールはそんなに大きくはありませんが、後学のためにも一度は立ち寄ってみてはどうでしょう。

 

 

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 さて何となく暗いイメージから一転抜けるような青空に映える平安神宮の大鳥居です。どうですかこのガラガラ感!ここは本当に京都の観光スポットなのでしょうか?

 

 

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 ここは左京区の南禅寺にあるブルーボトルコーヒーです。本社は、アメリカのオークランドにあり日本ではもうおなじみのスターバックス次ぐ、ブームを巻き起こす?であろうコーヒー会社のようです。そんなサードウェイブコーヒーが京都の南禅寺にもやってきました。恥ずかしながら僕はブルーボトルのことは全然知りませんでした。なので後学のために早速コーヒーブレイクです。

 

 

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Blue Bottle Coffee本社

 

 

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 コーヒーの味はさておき雰囲気は僕には理解できませんでした。ただ解体中の町家に仮設のコーヒーショップを出しているようにしか見えませんでした。「インスタ映えってこういうのを言うのか…?」やっぱり僕にはわからないかも、この雰囲気が流行るのであれば、僕は流行から完全に落ちこぼれているかもしれません。

 

 

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 最後のポイントは天智天皇山科陵です。ここは宮内庁の管轄です。

 

 

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 ここ天智天皇山科陵の入口左側には、天皇が漏刻(ろうこく)いわゆる水時計ですね。その漏刻をつくり時刻制度を定めたことにちなんで、昭和13年6月に京都時計商組合が建立した垂直型日時計があります。結構正確に時を刻んでいるのに驚きました。

 

 

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 だれ一人歩いていない参道です。この参道を抜けると「湯屋」があったりしてそうですあの千と千尋の神隠しのヤツです。それにしても印象的な参道は確かに高貴な人物が眠っているような雰囲気を醸し出しています。

 

 

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 神秘的な長い参道の果てに、天智天皇の陵墓があります。白砂に囲まれ、鳥居の奥はうっそうとした森になっています。「あ~なんとなくパワーを感じる…。」一般の人が入れるのは白砂の手前まで。柵の向こうである誰も入れない白砂にも、ちゃんと手入れがされ綺麗な砂紋が描かれています。

 

 

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 飛鳥時代の第38代天皇である天智天皇を祀る「天智天皇 山科陵」は数多い京都の天皇陵の中でも最古のものとされる由緒ある存在で、考古学的には御廟野古墳(ごびょうのこふん)という名の古墳だそうです。

 

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 以上で今回の人込みを避けた京都探訪でした。京都にはまだまだ観光ガイドに載っていない歴史スポットがあります。どこまで紹介できるかわかりませんが、面白そうなところがあればどんどん紹介していきたいと思います。