松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

こう見えて昔は俺もなんて言わないでおこう

 

昔の自分が今の自分のピンチヒッターにはならない

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今に始まった事では有りませんが時々話の中で「こう見えて僕も昔は・・・。」なんて言葉を耳にする事があります。別に悪くは無いのですが最近何故かこの言葉に違和感を感じるようになりました。要するに、いい意味での意外性をアピールしたいんだと思うのです。勿論そんな僕もたまに使ってしまいます・・・。例えば世間話の「昔はさ~から始まる話は、場を盛り上げるきっかけにはなりますが、これが自分の事で「こう見えて昔は俺も〇X△@◎$ёだったんだぜ~。」と話が始まるとそれを聞いてる人たちは心の中できっとこう思うに違いない「それがどうしたの?」これをある時僕自身も強く感じた事があるのです。「人のふり見てわがふり直せ」です。では自分自身どんな時にこんな話になりがちなのか考えてみました。

 

昔の俺が発生ポイント

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身近なところでは、なんといっても圧倒的に職場関係が多いと思います。例えば上司と部下、それに先輩と後輩、勿論同僚もです。これが飲み会なんかでアルコールが入ると何時でも昔の俺が体制になります。「俺も今は、こんな感じで丸くなっているけど昔はかなり尖ってたんだぞ。」とか「今は大人しい俺も君たちの位のころはもっと元気だった・・・。」とか結構出るんじゃないんでしょうか。後僕もそうですが、子供のいる方は「パパはこう見えても何となく凄いんだぞ!」なんて言ってる人も結構多いと思います。そもそもそれを言ったところで問題が改善されたりリスペクトされる事は中にはあるかもしれませんが、そうでない方がやっぱり多いでしょうね。そしてさっきの「人のふり見てわがふり直せ」です。この様な状況に遭遇した時、「チョッとかっこ悪いかも・・・。」と思ってしまいます。

 

過去の自分が今の自分のピンチヒッターは出来ない

 

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仮に昔が本当に今より自分よりいけてると思っても過去の自分は、現代の自分のピンチヒッターにどうあがいてもなれないのですから。そして僕は、こう考える事にしました。過ごしてきた年数に刻まれてきた努力や経験が自分を磨きそして今の自分が作られている。例えば「先輩の様な仕事をして見たい」とか「そんな人生を僕も送りたい」または「お父さんの様になりたい」など、とにかく周りの人の目標が、現在の自分だと思われれば冥利に尽きる(みょうりにつきる)と思います。なのでこれからは、わざわざ昔の俺がを出すのは今の自分を否定してるのと同じ意味になるので慎むようにしたいと思います。難しい話ですが目標にされる人になれる事を目標にしよう。