松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

今までそうだと思っていた。誤用している名言

 

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僕が、社会に出はじめた頃、当時の先輩方は、とにかく、ことわざをよく使われました。お説教やアドバイスの時などほぼ100%ことわざを挟んできました。勿論最初は、訳も分からず、流していましたがそのうち言ってる意味が、分からなくなってきたのでことわざ辞典何か買ってよく耳にするものを調べだしました。そのうち自分でもよく使うようになり、頻繁に使ううちに、ことわざをを聞いただけで「恐らくこうだろうな」と勝手に解釈して恥をかく事もありました。例えば今でも思い出すと赤面しそうになるのが「天高く馬肥ゆる秋」です。意味としては、秋の快適な気候のことを意味し、秋は空気も澄んでいて、空も高く感じられ、おまけに馬も肥えるような収穫の季節みたいなことですよね。それを僕ときたら「馬が空高く飛び上がる季節」天高く馬超える秋だと解釈していました。他にも沢山誤用していることわざは、ありましたが恥ずかしいのでこの辺にしておきます。

間違った解釈で広まってしまった名言

この手の誤用は僕だけがしてるのではなく、間違ったまま伝えられ、それぞれが自分なりの感覚で解釈し、本来の意味が変わり定着しているものもあると思います。いくつか書き出したので間違った解釈があれば頭の中で正しく修正しましょう。

  

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず 福沢諭吉

著書「学問のすゝめ」の冒頭の文として広まっています。「すべての人類は皆、平等である」と誤解されていますが、続きを読むと「生まれた時は平等なのに、賢い人と愚かな人、貧富、身分の差という違いが生じてしまうのはなぜか。それは学ぶかどうかの違いだ」と説いているのです。

 

 

天才とは1%のひらめきと99%の努力である トーマス・エジソン

こちらも、さも「大切なのは努力」というニュアンスで誤用されがちですが、「1%のひらめきがなければ99%の努力はムダになる」という思いでエジソンが言った言葉なのです。

 

 

健全なる精神は健全なる肉体に宿る ユウェナリス

古代ローマの詩人によるこの言葉は、「健全な肉体にしか、健全な精神は宿らない」というニュアンスで、昭和時分に運動部系のシゴキ用の檄として誤用されていたそうですが、「健全な肉体なのだから、精神も健全だったらいいのになぁ」という現実への嘆きを謳ったものだとの説もあるのです。

 

 

お客様は神様です 三波春夫

今は亡き大物歌手、三波春夫の名言として有名ですが、オフィシャルサイトに「真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございます」と誤用についての掲載があります。つまり「ステージにいる演者から見た、客席の聴衆のこと」であり、「商店や飲食店の客のことではない。営業先のクライアントでもない」とのこと。「歌うときは、あたかも神前で祈るときのように、澄み切った心でなければ完璧な芸を見せられない」という旨の言葉だったものが、いまや「クレーマーの常套句」に使われているのは嘆かわしいことです。

「お客様は神様です」について

 

 

最後に

後世に引き継がれる場合、このことわざの様に都合よく解釈したり、つい美談に仕立てたくなるものですが、本当の意味を知る事によって、改めて新鮮な情報として頭に入っていくような気がします。それにしてもことわざが、後世に残るのってすごい事ですよね。僕も時々「うまいこと言ったぞ」て思う事がたまにあるんですが、これってどうしたら上記の様にメジャーに後世に残すことが出来るのでしょうか・・・。