松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

時間を無駄に消費する人としない人

 

f:id:rjmatsumura:20180604162151j:plain

今朝ネットを見ていると「Eメールが読めない大学生が増えている・・・。」なんて記事を読みました。今の世の中、これだけPCにタブレット、スマートフォンと溢れかえっている中で、何故そんなことになるのか正直ピンと来ません。僕の場合公私共にSNSや、ブログをガッツリではないもののそれなりにやってます。それでも内容によっては、それなりに時間がかかる場合もあり、無駄とは言わないまでも別の事に時間を割きたいなと思うことが、多々あります。そこで今回は、無駄か、そうでないかをチョッと考えてみたいと思います。

 

SNSやりすぎで貴重な時間を削っている

極端な例えになりますが、そもそも人間は狩猟時代から戦後まで、庶民のほとんどは「生きる」ことが目的だったように思います。狩猟や農耕などに時間を使っていたのも生き延びるためでしょう。防空壕を掘ったり疎開するのもやはり生き延びるためです。しかし、いつのまにか食糧はいつでも気軽に手に入るようになり、命を脅かす戦争も、現代の日本では考えにくいですね・・・。そうなると、ただ日々の生活に流されるだけでも人は生きていくことができるということになります。ただ、生き延びるという目標を失った人達は、膨大なヒマな時間が現れたと考えることもでき無くはありません。そうするとそのヒマな時間をどう使うか?答えは、簡単。生きること以外に何か目的、目標、価値を置くのです。それが無いと何の面白みの無い人生になってしまいかねません。

 

 

普通の人の人生は壮大な暇つぶし

普通多くの人達は小学校・中学校・高校で12年間、もしくは大学に行き合計16年間の学校生活を過ごします。社会に出たら仕事に就きますが、朝起きて会社に行き、1日の仕事を終えて帰宅しそして、テレビを見ながら食事をして寝るというルーティーンな日々を過ごします。また、週末はショッピングに出かけ、長期の休みは旅行を楽しむ・・・。更には、結婚・出産を経て子育てをし、子どもがまた社会に出たころ、定年退職で引退。老後は孫の世話をしたり仲間とお茶したりと、のんびりと過ごす。そう考えると、人生80年、見方によっては壮大な暇つぶしとも言えるかもしれません。

 

 

ジタバタしてもしなくても過ぎ行く時間は同じ

映画や旅行も暇つぶしです。テレビも読書も暇つぶしです。仕事は生活の糧を得るという目的はあるものの、それで1日の大半が過ぎますから、やはり暇つぶしのひとつと考えられます。そしてその暇つぶしを、自分や社会にとって価値のあることをやって過ごすのか、価値のないことをやって過ごすのかで明暗が分かれます。

 

 

無駄に過ごさない方法を見極める

たとえば、電車内でスマートフォンをしている人の場合、たいていゲームかラインかフェイスブックをやっています。それらは、基本的にやってもやらなくても、誰も文句を言わないし、誰も困らないでしょう。もともとはこの世に存在しなかったものですからね・・・。一方で、自分はシステムエンジニアだという場合、その知識を活かして地域の子どもたちにスマートフォンゲームの作り方、つまりプログラミングを教えてみるということができます。これももちろん、やらなかったとしても誰も文句を言わないし、誰も困りません。しかし、やれば子どもたちに価値を提供し、喜ばれることになります。そして自身の名前やしていることが地域に知れ渡り、コミュニティができるかもしれません。もしくは、地元の学校からも出張授業の依頼があるかもしれません。これを有料でやれば副収入になっちゃいます。

 

 

最後に

もちろん、暇つぶしをするかしないは個人の自由です。そして、確実に何かを成しても成さなくても、同じ80年が過ぎていきます。そして恐らくほとんどの人たちが100年以内にこの世を去り、自分の孫が寿命を迎えるころには、自分を直接知っている人間は野の世の中からいなくなるでしょう。そう考えた時、自分が自分であるために、自分が生きた証しを後世に残すために価値があることに時間を使いたいと考えてみてはどうでしょう。結果としてできるかできないは分かりませんが、僕は少なくとも価値のある生き方を目指してみたいと思います。