松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

ウソも方便大作戦で大成しよう

 

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一般的にウソは、当然ダメとされています。それに子供を叱る時「ウソはだめでしょっ!」なんて言った事もある親も多いと思います。かくして僕自身も子供の頃は、何かしでかすたんびに親や大人に対してウソをつきまくっていたような気がします。子供の頃のウソは、ほぼ100%保身のためだけですけどね・・・。もちろん可愛げがあってもウソをついていい事にはもちろんなりません。しかしながら、大人の階段を上り始め人間関係や一般的モラルに世渡りと生きる術をどんどん学んでいきます。そして遂にウソも方便の領域に達するのです。と言う訳で今回は、ウソから出たまことと言うかウソも方便と言うか時にはウソが良い方向にベクトルが、働く事について考えて見合いと思います。

 

裕福になれる人がつく良いウソとは

伸びる人、引きあげられる人は、時に平気でウソをつきます。たとえば、ある会社での事です。その会社の係長は、自分の上司である課長と部長の仲が、とても悪いことに普段から相当困っていました。そこで部長と一緒にいるときに、係長はこんな事を言いました。「課長が部長のことを、とても尊敬しているって言っていましたよ」と言いました。「ええ?あいつがそんなこと言うわけないだろう・・・。」さらに「なかなか素直になれないだけで、本心は尊敬しまくっているみたいですよ。」すると部長は「そうかあ~?(嬉しそう)」となっていたそうです。

そして別の場で、当の課長といるときに、「部長が課長のことを、すごいヤツだってほめていましたよ」と言いました「へっ?あの部長がそんなこと言うわけないよ」更に続けて「あれは部長の照れ隠しみたいですよ。とても頼りにしているって・・・。」「そうか?まあ、そうだろうな(嬉しそう)」となるわけです。要するにこのウソのポイントは、二人とも悪い気はしませんから、少しずつわだかまりも和らいだ、という話です。もちろん、たとえ話ですから、こう簡単にうまくいくばかりではありません。しかしながら、険悪な関係をなんとかしたいという係長の配慮の姿勢は大いに評価でいます。そしてそういうタイプの人間は、あちこちでその機転が発揮され、最後には大成すると言う訳です・・・。

 

みんなが喜ぶ時もあるウソ

ここで注目したいのは、ウソの本質です。前述にも書いた様に「ウソは良くない」と一般的には言われますが、それはあくまでも見え透いた言い訳だったり、ダマすなど人を不幸にするウソだからです。しかし、みんながハッピーになるウソというのもあります。そしてこれは、人間心理に配慮する必要がありますから、相当な頭の鋭さが必要です。もっと簡単なことでもいいのです。たとえば、あるサークルの部長だとします。「このサークル大好き!」という部員と、「つまんねえサークルだよな」という部員とでは、どちらを信頼するでしょうか。同じように、どんな経営者も上司も「会社が好きだ!」と言ってくれる社員はかわいいものです。

 

心にも無い言葉が人の心を打つ

だから「俺はこの会社が好きだ」という人には、チャンスが回ってきます。上司から「疲れたか?」と言われて、本当に疲れていても、「そうですね」とは言わない。「いえ、全然大丈夫です!」というウソは、上司にはそれが強がりだとわかっていても、頼もしく映ります。また、幹部から「A社を(営業をかけて)落とせないか?」と相談されたとき、「うーん、むずかしいと思いますよ」と本音は言わない。やらずして、努力を尽くさずして「できない」という志の低さにがっかりされるだけです。そこで、「とにかくやってみます!」と言う。すると幹部は、仮にうまくいかなくても、覇気があってチャレンジする部下の姿勢を頼もしく思うものです。

 

最後に

言葉として考えた場合「ウソ」は、やはり良いイメージではありません。しかし出来そうに無い事や、初めての試み、それにやせ我慢と「ウソ」も捉え方によっては、「やる気」と解釈できるものが、沢山あるのです。なので、出世コースに乗ったり、将来大成する人には、やる気というウソをついているのでしょう。僕も昔聞かされた話で記憶に残っているのが、「ウソも実現すれば本当になる・・・。」です。これは、僕が初めてウソを肯定的に捉える事の出来た話でもありました。そうなんです。頑張って小さなウソから大きなウソまで実現させれば、全て本当の事になるのです。僕もこれからは、嘘つきジジ~!と言われないように実現出来そうに無いウソは控えたいと思います・・・。