松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

自分に合った正しい労働時間とは

 

f:id:rjmatsumura:20200526143026j:plain
 何気に身についてしまった昔からの習わしとは凄まじい影響力を持っています。ある意味宗教なんかもその部類に入るのかもしれません。先祖代々からの刷り込みや、メンタルな部分で壊れかけている時心の隙間に入ってくる新興宗教など、限りなく洗脳に近いものもあります。そこで今回は僕もそうでしたが、何の疑問も感じず「昔からそうだから…。」というだけで就労してきた「労働時間」について考えてみたいと思います。

 

人が労働を強いられる理由

 自分の為、家族の為と一生懸命とにかく四六時中働いている人は、ある意味間違いなく頑張っている人と言えるでしょう…。ただ、そんな頑張っているのにもかかわらず人によっては、人生あまりうまくいっていない場合があります。もし自分がそうだとしたら、一生懸命の方向性を少し考え直す必要があります。しかしながら、今の世の中一生懸命とは無縁かの如くたいして働かずとも優雅に過ごす人たちも存在しています。

 

約200年前から始まったスタンダード

 少し調べてみると労働者の時間が最も搾取されていたのは、どうやら18世紀から19世紀にかけてヨーロッパ各国で起き始めた『産業革命』ようです。主にイギリスの産業革命によって数々の機械が発明・導入され、製造・製鉄・交通などの分野が発達しました。そしてさまざまな技術革新が起こり、工場や機械を持つ資本家が労働者を雇い、モノを作って売るという資本主義が生まれたのです。そうなるうちに、人間の労働時間は劇的に長くなっていきました。一説によれば、1840年ごろのイギリスの労働者は、年に3500時間くらい働いていたそうです…。仮にこれを1年即ち単純に365日で割ると、土日も含めて1日当たり10時間近くの労働時間となります。これが現代で言うところのブラック企業にあてはまるものだと考えられます。その後、徐々に労働時間が減少し始め1919年に制定されたILO第1号条約により、ここでようやく慣れ浸しんだ「8時間労働」が世界に浸透したといいます。そして、その長い月日を経て揺らぐことなく8時間労働は現代まで続いているわけです…。そこでふと疑問が生じます。

 

技術が劇的に進んだはずなのに

 少し考えてみてください。200年前の技術力や生産性と違い現代の技術から生まれる効率性をもってすれば、昔と同じ仕事量をわずかな時間でこなせるはずです。それなのに、なぜか人類は、1世紀以上前と何ら変わらず1日8時間を当たり前に働いているのです。もちろん、たくさん働きたい人はたくさん働けばいいでしょう。ただ、それほど働きたくないのにたくさん働かされている人が未だにいるということです。人によっては年に3800時間くらい働いている人もざらにいるようです。好きで残業しているわけでもないのに、何故かひたすら黙々と働き長時間労働記録を更新し続けている人達が存在するのです。

 

限りない欲望が労働時間を増やす

 現代の技術から生まれる効率性を考えた場合、本当なら大して働かなくても普通に生きられるようになっていてもおかしくないのに、現在も多くの人がまだまだ労働に追われているのです。ある一説によると、生活も仕事も便利で効率的になる一方で、多くの人が必要ないものを買ったり、お金がかかることに楽しみを見いだしたりするようになった為、「もっとお金を稼がなくてはいけない」というループにはまっているというのです。現代多くの人達は、「一生懸命、頑張る」ということの方向性を、実は間違えているのかもしれません。前述したように一生懸命頑張らず沢山のお金を持つ人達も存在します。一生懸命働いていないのに何故か一般的な会社員よりたくさんお金を持っていたりするわけなのです。そうなると少し極端ですが「頑張る」ということ自体、本当はあまり必要ないことなのかもしれません。

 

働けば働くほど偉い人は本当か?

 自分の手を動かして物事をプラスにしていくというのは、目指すべき目標や定めている結果に向かって進んで行く、もしくは誰かが敷いたレールの上を一心不乱に走ることで仕事としての成果を出していく事だと思います。しかし仕事でいちばん重要な部分は、そこではなく新たな発想や、思いつくことなのかもしれません。要するに、アイデアを出すことであって、沢山の仕事に忙殺される日々を送り作業に追われることではないのです。因みに人間の脳は、あれこれといろんなことに頭を使っていない時のほうが思考しやすくできているそうです。そして、うまくいく方法さえ思いつけば、あとは自分自身が頑張らなくとも、できる人に振ることで勝手に物事は回り始めます。

 

時間と成果を考える

 そもそも、やたらと仕事時間を確保したがる人が、すごくうまくいっているという話を、あまり聞いたことないような気がします。「仕事にかける時間は、あればあるほどいい」というのは、要するに、時間を確保するほどに成果が上がるということです。でも、しょせん時間には限りがあるわけですから、その中で得られる成果には当然限界があります。本当は、できるだけ時間をかけずに、より多くの成果を上げたほうがいいわけで、そもそも時間と成果を比例関係で捉えていること自体が間違っているのかもしれませんね…。

 

考える人と動く人の違い

 たとえば、自分が経営する会社で緊急事態が起きたとします。もし自分しか対処できなかったら、すぐに会社に戻って、自分で作業するなり判断するなりしなくてはいけません。当然、時間的コストがかかります。でも、最初から現場の判断で対処できるように仕組みを作っておけば、必要以上に時間をとられずにすむわけです。効率的仕組みを確立したうえで大して動いていない人と、5分おきにスケジュールを入れて動きまくっている人とでは、一見、後者のほうが成果を上げているように見えるかもしれません。しかし実際のところは、おそらく前者のほうが、確実に大きな成果を得ているはずです。時間というコストに対する成果の大きさを見れば、前者の方が、はるかにコストパフォーマンスがいいはずなのです。

 

最後に

 ゼロから始める仕事や人を雇う仕事は時間とコストがかかります。しかし、そのせいで損をするようなプロジェクトなら、最初からやらないことです。もし人を雇うコストを補って余りある利益が見込めるのなら、人を雇ってでもやるべきでしょう。また、人を雇ってもたいした利益が見込めないのなら、自分ひとりでもやらなくていいと思います。要するに、これはコストをかけるかどうかではなく、最初の設計をどうするかという問題なのです。それが誰にも任せたくないほど楽しいことなら、時間をかけて自分ひとりでやるのもいいでしょう…。なので最終的に考えるのは自分にとって本当に価値のある正しい労働時間というのは自分なりに知恵を絞り効率を考えたうえで自分にとって理想の結果が生まれた時の費やした時間だと思います。たとえばそれが、1日3時間で出来たのであれば、自分にとっての正しい労働時間は、1日3時間ということなのです。