松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

人生のぬるま湯にあなたは何回入りましたか?

 

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 いよいよ秋も深まり限りなく冬に近づいてまいりました。そのせいか天気の好い日の空は宇宙との境目がわからないほどの透明感と清々しさでいっぱいです。ただその反面心と懐との肌寒さをいっそう感じる今日この頃でもあります。さて、そんなネガティブな気持ちはおいといて今回ですが、これからの人生においてできるだけ後悔しない心構えをテーマに考えてみたいと思います。

 

不安から確信に変わる後悔

 さて、誰もが経験するであろう若い頃…。そんな時代の絶え間ない努力、スポーツなどで培った体力や柔軟な動きそして学習から学んだ考え方に至る様々な経験を多かれ少なかれ過ごしてきた思います。しかしそんな貴重な経験も残念ながら今日まで活かせず、考え方も体も硬くなり若かりし頃の積極性まで失われ現在を悔やむ人は少なからずとも存在していると思います。それはきっと人生の「ぬるま湯」につい足を入れてしまったからなのです。僕自身も実のところ幾度となく入った感があります…。そこで、今からでも踏みとどまるために、自分が今まで取り組んできたメインの仕事の両サイドにある業際的(ぎょうさいてき)な業務を、準専門レベルまで引き上げる勉強や経験を積んでおくことが人生巻き返しの一つの方法だと僕は思います。しかしながら、もしそのことに役職定年後気づいたとしたら、それはもう時すでに遅しということになってしまうでしょう。そこで、そうならないようにあえてヤバそうな事柄いわゆる「ぬるま湯」をいくつか紹介しますので是非参考にしてください。

 

自分の可能性を過小評価してしまう

 個人差はもちろんありますが人は、ある程度の年齢に達すると「自分はどうやらこの辺りまでだな…。」と、限界を勝手に決めてしまい結果、後悔してしまうケースがあります。たとえば、仕事をしている時など組織の中で思うように出世できなかった人は、残念なことに「無力感」という覚えなくていいものだけを学習してしまったりするものです。そのため「これまでだって大して報われなかったんだから、今からも必死に頑張ったところで、自分には大したことできないだろう…。」と、自らを過小評価してしまう傾向にベクトルが働くのです。

しかし世の中は、ただ仕事ができれば出世できるというわけではありません。昔から「一人に認められたら7人の敵ができる。」と言うくらい誰しもがそれなりの苦労をするものです。要するに、昇進するかどうかの決め手は、実力やスキルも確かにあるでしょう。しかし何よりもその時の運が明暗を分けるケースがあるということです。上司の好みや、たまたま所属していた事業部が主流か傍流(ぼうりゅう)か、だったりするのです。なので自分を否定する前になぜそうなったかを少し考えてみてはどうでしょう…。もし自分がそんな負のスパイラルに陥っていると感じるならば、きっとどこかに脱出の切り口が見つかるはずです。

 

会社が見る自分の評価を考える

 たとえば、長年今の会社で働いてきて惰性(だせい)を感じ、いつのまにか「自分の限界はこの辺りだな…。」と線を引いて、さらなる成長やアップデートの追求、人脈づくりをなんとなく止めてしまったという人は、確実にそのことが人生において大きな後悔を生むので十分に注意しよう。自社への帰属意識というのは厄介なもので、50代以降は、自分の市場価値を知る上での障害になりかねません。「自分の価値は、本当にこの年収分なのか?」と、疑わなくなってしまうのです。

市場価値以上の年収をもらっている人もいれば、逆に過小評価されてずいぶん低い年収に甘んじている人も少なくないでしょう。同じ50代でも、年収450万円の人よりはるかに生産性の低い人が年収900万円以上もらっている、なんて話もザラにあるようです。

 

やりたい事とやりたくない事のバランス

 長年会社の中にいると「何がやりたくて、この会社に入ったか」ということすら、思い出せなくなる人も多いと思います。上司に指示されるまま仕事をして10年、20年たつと、「やりたいことが何かなんて、考えても仕方ない。どうせ上の指示通りにやらないといけないんだから…。」と思うようになってしまうのです。当然、「やりたいこと」の方がモチベーションも高まるし力も発揮できるのですが、「そんなこと考えてもムダ。がっかりするだけで、むしろ精神衛生上よくない」と割り切って、月並みな手腕で仕事をこなすようになり、成長が止まってしまうのでしょう。そしてある瞬間突然こう思うのです。「あの時、あきらめずにもっと『やりたいこと』にチャレンジすればよかった…。」と、後悔するのです。

 

低い条件の雇用に甘んじた後悔

 定年間近になり、「再就職・転職や起業は面倒だし、社会保険もあるし」という安易な気持ちから、社畜的雇用に甘んじてしまい、「別の選択をすればよかった」と、後々の後悔している人も少なくないでしょう。このようなタイプの人には、長い雇用の期間に転職などのアクションや情報収集すら行わなかったことを後悔している人もいれば、アクションを起こしたり、これまでの人間関係からオファーをもらったものの、踏ん切りがつかなかったことを後悔している人もいるのではないでしょうか。世の中というものは極寒の地にある露天風呂の様なものです。「ぬるま湯は、ぬるくていやだけれど熱くはない代わり寒くもない。」湯船を出て少し歩けば、熱いお風呂があったり屋内へ回避できるのに何故かそういう人たちはぬるま湯に文句を言い不平不満を感じながらそこに居たがるのです。極寒の外に湯船からすっぽんぽんで出て移動するのができないのです。そしてその理由がなんと「寒いのはイヤ」というから驚きます…。

 

充電という名の恐怖の思考停止

 ここでいう思考停止病とは、何かを考えるとき脊髄反射的(せきずいはんしゃてき)もしくは刺激反応型(しげきはんのうがた)を指します。たとえば、会社はこう考えてるだろうから、自分としてはこう思うとか、部長はこう思うだろうから、自分は…。と、なってしまうことです。答える相手がどう思うか、誰がどう判断するかなどと斟酌(しんしゃく)しながら考える日々が何十年も続いてしまうと、そこから解き放たれた自由な発想ができなくなるのです。

聞くところによると日本はとくにこの傾向が強いそうです。なので自由を知らずに働き続けた人達は、定年まじかになると確実に戸惑ってしまうわけです。たとえば、50代を卒業したら、何をしたいですか?という質問に、どれだけの人が個人としての意見を答えられるかです。僕が思うにそんな時は、きっと皆さんこう言うと思います。「少し充電してから考えます…。」みたいに。まさにこれが思考停止というひとつの症状なのです。

 

気が付けば働かない人間になっていた

 今の時代は新入社員から定年寸前のベテラン社員までガッツリ働かなければなりません。いわゆる成果主義時代です。若手からみる定年まじかの管理職いわゆるシニア社員などは「ITリテラシー(適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する能力など)が低く、新しい技術についていけないシニア社員のおかげで、自分たちの負担が増えている…。」という不満が募っているそうです。更にそういう生産性の低いシニアの年収が、自分たちよりずっと高いのはなおのこと許せないのです。実際シニア社員達の中には、「自分は十分働いている」と自身に言い聞かせる反面、心のどこかでは、「そう思われても仕方ないな~。」という後悔をしている人もあんがい多いかもしれませんね…。確かに一昔前までは、それが当たり前だったのかもしれませんが、恐らくこれからはそんな時代は二度と再びこないでしょう。

 

自分というアイデンティティを確立できているか

「○○銀行の松村堂です。」とか「○○商事で部長をしております松村堂です。」といった名刺や組織というバックボーンがなくなると、はたしてどれだけ自分にブランド価値があると思えるでしょう…?定年後に名刺を作り、裏に出身企業名や「元部長」などの肩書、はたまたご丁寧に出身大学・学部まで入れているシニアもいるようですが、これはもう明らかにアイデンティティの喪失を恐れたパターンと言えるでしょう。重要なのは会社の名刺がなくなっても消えない自分のアイデンティティを確立できなかったという後悔にも見えなくはないですね。勿論、独立・創業して新しい仕事を始める際に、名刺の裏に出身企業や出身校を入れるのは戦略的ですから、それはそれで一つの方法だと思います。

 

モチベーションが湧かなくなった

 定年が射程圏内に入りだすとモチベーションが維持できなくなる人が多いそうです。まず考えられることは年収の激減です。それに集中力が続かなくなり、体力の衰えを実感しだし社内でのジェネレーションギャップに疎外感を感じだすなど、今まで感じたことがなかったネガティブな感情が芽生えだし、結果モチベーションが下がるのではないかと考えられます。

 

最後に

 会社での定年に気をとられ、人生に定年がないことをすっかり忘れていた人は残りの人生に大きな不安を持つのではないでしょうか…。要するに再雇用も含め仮に65歳まで働いたとしても今の日本であれば残り20年くらい人生は続きます。その残りの人生の過ごし方に何も考えず、無為に過ごしてしまう事だけは避けなくてはいけません。元気に残りの人生を全うしようと考えるならば、お金の問題や人間関係、それに最も大切な生きる意欲です。現役当時は日々仕事に忙殺されて、それどころではなかった人も多いでしょうし、なんとなく漫然(まんぜん)と過ごしているうちにいつの間にか定年に…。という人もいるでしょう。あと、チョッと厄介なのが「定年になったら、まずはゆっくり充電しながら、その先のことを考えよう…。」と、考えている人達です。

しかしその充電期間が終わった後にどれだけ残りの人生を充実させるプランが、思いつくでしょうか?いいいよ役職定年や雇用延長が射程に入ってきた世代は、この辺りを呑気に考えず一日も早く真剣に定年後の人生設計を完成させる努力をしましょう。